後醍醐天皇って手柄横取りのクズだったの?

1:2014/06/19(木) 13:15:47.50 ID:

武士を顎で使って命がけの戦いをさせておいて、
功績は自分のものにしようとした
そんなイメージしかないんだけど
少なくとも自分で武器を取って最前線に出たことはないよね
教科書では天皇の力が弱まってたから、
昔のように強い天皇制にしたかった
みたいな書かれ方だった
個人的には小悪党の印象なんだが、
それをひっくり返すようなエピソードない?
漫画やゲームにも登場しないからなじみが薄いし
37:2015/06/13(土) 21:30:33.28 ID:

>>1

そもそも、組織内のメンバーがたてた手柄はトップが持っていって、

その対価に論功行賞を行うわけだろ、
手柄横取りしなかったらおかしくね?

現代の会社でも、

社員が開発した新発明の権利は会社に帰属して、
開発者は昇進かボーナスを対価として得るわけじゃん
72:2017/03/28(火) 03:24:51.36 ID:

>>1

ガンダムのサングラスと同じような設定でしょ

実際は戦などに出てこないし、
参加したこともない

2:2014/06/19(木) 15:49:31.27 ID:

名前からして醍醐帝のパクリと横取りやん
3:2014/06/19(木) 16:23:21.62 ID:

そこに行けばどんな夢もかなうというよ~
誰もみな行きたがるが遥かな世界♪

その国の名はガンダーラ何処かにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう教えて欲しい♪

4:2014/06/19(木) 20:48:22.50 ID:

足利義昭もそうだが
自前の軍力持たないと、
策謀だけではどうにもならんよ
23:2014/07/16(水) 14:41:26.61 ID:

>>4

護良親王は?

5:2014/06/20(金) 08:12:24.53 ID:

資料が残ってないからドラマや映画にできないのか
残ってるけど小悪党でしかないからできないのか
たぶん後者だろうな
6:2014/06/20(金) 16:15:32.52 ID:

その後の戦国時代と比べると地味だしな
7:2014/06/20(金) 16:44:06.30 ID:

6
戦国時代の痕跡は石垣や堀壕って形でいまも残ってるからね
8:2014/06/20(金) 16:48:02.85 ID:

廃城令がでたときにそういった城で祀ってたものを
神社なんかに移したって云われのも多いやからな
9:2014/06/21(土) 07:56:13.08 ID:

戦時中は足利尊氏が悪者で
楠正成を英雄として教えてたそうな
10:2014/06/21(土) 08:34:51.48 ID:

楠正成、毛利元就、黒田官兵衛
 
どーしょーもない卑劣な手段で勝っている
ムナクソ悪いやつら。
27:2014/07/25(金) 18:29:27.54 ID:

>>10

楠木は弱者の戦法だからまだ分かるけど、

毛利は強者になってからも騙し討ちばっかだからな
黒田はアメリカ的な物量で圧倒する感じだから、
それはそれでアリかと

12:2014/06/21(土) 20:13:23.46 ID:

北条氏と対立していた頃は藤原藤房や日野資朝、
日野俊基の補佐で善政を行っていたというがね。
13:2014/06/21(土) 20:19:17.99 ID:

ゲームの無双やバサラが好きな人は、この辺りの時代の策謀には興味ないだろうな
14:2014/06/22(日) 07:16:35.61 ID:

>藤原藤房や日野資朝、日野俊基
誰それ?教科書に載ってない人たちだろ
善政とはいってもそれぐらいどうでもいい扱い
19:2014/06/23(月) 18:10:52.67 ID:

>>14

試しに調べたら日野資朝教科書に載ってた

15:2014/06/22(日) 21:36:07.51 ID:

位戸善政
16:2014/06/22(日) 21:46:21.27 ID:

その前に継体天皇がいる
17:2014/06/22(日) 22:02:09.79 ID:

王莽にそっくり

政権とるまでは良かったのに

18:2014/06/23(月) 04:06:24.35 ID:

結局、時代に逆行するかのように秩序を破壊しようとして人心が離れ愛想を尽かされた
20:2014/06/23(月) 21:16:55.99 ID:

もう少し日本史板らしく
21:2014/06/28(土) 22:39:17.12 ID:

もし主権者が統治をしようと思ったり、
または行政官が法を与えようと思ったり、
あるいは、臣民が服従をこばんだりすれば、
無秩序が秩序にとって代り、
力と意思とがもはや協力して働かなくなる。

ルソー『社会契約論』

優秀とされた人物でもよく嵌る落とし穴だね
聖徳太子級だと弁えてるから王になるのを避けるけど

22:2014/06/29(日) 00:07:32.42 ID:

どっちかっていうとコキ使われたのは皇族、公家のほう
後醍醐に加担したためにロクな目にあってない

日野資朝:処刑
日野俊基:処刑
万里小路季房:流罪⇒殺害
花山院師賢:流罪⇒死亡
文観:流罪
円観:流罪
洞院実世:謹慎

一方、武士は前代未聞の昇進ラッシュ

足利尊氏:従五位上⇒従二位、左兵衛督、武蔵守、鎮守府将軍
楠正成:兵衛尉⇒従五位上、河内・和泉守護
新田義貞:無位無官⇒従四位上、越後・播磨守
名和長年:無位無官⇒従四位下、伯耆守

24:2014/07/24(木) 12:32:32.46 ID:

一応、仮にも天皇なんだから「実はクズでした」なんて内容の
映画やドラマは作れないだろ
小説でも無理だと思う
25:2014/07/24(木) 13:47:43.24 ID:

>>24

清盛の白河法皇や後白河法皇の扱いは相当酷かったぞ

26:2014/07/24(木) 23:20:32.28 ID:

>>25

後白河については、即位する前から暗愚呼ばわりされたという史実があったような?

28:2014/07/27(日) 14:19:56.98 ID:

公家一統って公家だけで政治の主導権を握るという意味で使われてるけどこれは間違い。
当時、持明院統、大覚寺統邦良親王派、大覚寺統後醍醐派に分かれていた公家を一つに統べる、というのが本当の意味であって、
武士を蔑にしたとかいう史実はない。
29:2014/08/30(土) 13:02:55.25 ID:

後醍醐は、倒幕に成功した後も、従来の身分制度を打破し、
能力基準で広く人材を登用していきました。この過程で、後醍醐のために「玉砕する」南朝の忠臣たちが登場するのです。

彼らのプロフィールを見ましょう。

①楠木、名和氏・・・豪族だが、実態は武装商人だった。
②新田、菊池氏・・・名門の末裔だが、実態は没落した田舎豪族だった。
③日野、北畠氏・・・貴族だが、カーストの最下層にいた。

彼らは、従来の制度の下では、生涯、日の目を見ることができない闇の世界の住人だったのです。
後醍醐政権の内部でしか、栄光を謳歌出来ない人々だったのです。だからこそ、
玉砕するまで南朝のために戦ったのです。いわば、後醍醐天皇という政治カリスマがもたらした、
歴史の中の例外的な現象だったのです。
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/pacific22.htm

31:2014/08/31(日) 14:13:09.12 ID:

>>29

そのせいで貴族らの間では不満も根強かったみたいだな

30:2014/08/31(日) 03:27:41.37 ID:

顕家も義貞も後醍醐のために玉砕したわけでもなかろうがな。
後醍醐の発想はカリスマ的かも知らんが土台は大覚寺統の人脈と資産
そこに足利、新田や楠木、名和、赤松なんて入ってきたら反発がおこるのは必至
32:2014/09/02(火) 12:47:26.32 ID:

神器の偽物を何組も作って収拾がつかなくした人物だな

最低でも二組の偽物が出回ったが、ひょっとすると三組以上の偽物を作ってたかもしれん

33:2014/09/16(火) 22:51:27.69 ID:

本物を持ち逃げしたんだよな
はよ返せ
34:2014/09/16(火) 23:02:48.65 ID:

おそらくは取り上げられた方が本物であって、それを偽物ということにして政治宣伝しただけと思うけどな。

偽物の準備に要する時間を考えたら、偽物を渡して誤魔化すとか困難だったとしか思えん。

35:2014/10/14(火) 12:40:54.14 ID:

>>34

つまり、真贋以前に南朝の正当性って
揺らぎっぱなしか

45:2016/12/18(日) 12:04:28.44 ID:

>>35

というか後醍醐からすれば自分自身こそが権威の源泉
よって自分が持ってる物だから本物だというくらい意識だったかも

後の連中も後醍醐の子孫か否かに正統性を求めたがってる感じだし

36:2015/04/25(土) 07:23:19.87 ID:

開創年代は不明。開山は仏僧国師約翁徳倹。開基は木下源太と伝えられる。
『摂津名所図会』に元弘3年(1333年)5月晦日に後醍醐天皇が隠岐から京へ戻る途中に入り、6月朔日、
大般若経を転読させたとある。
天正年中(1573年~1591年)兵火にあい焼失、のち再建。
史跡後醍醐天皇駐蹕之處
赤松則村(円心)父子、楠木正成と部下七千騎が出迎えた寺として知られる。
『福厳寺塔頭』 境内には塔頭二ヶ寺、起雲庵、常牧庵があったが、 明治後合併廃寺されて、
名目上に方丈〔内殿〕は起雲庵と言う事になった。
また和田岬にあった尼僧寺院、円通寺〔円通庵〕も現在は福厳寺に合併されている。
39:2015/06/13(土) 21:31:58.18 ID:

あ、すまん
エラー出て二重書き込みしてもた
40:2015/06/14(日) 01:40:06.14 ID:

会社に対して今時そんな認識かよ・・
48:2016/12/19(月) 22:09:40.99 ID:

>>40

いやなら自営業やれよって言われるだけですよ旦那

42:2015/09/11(金) 10:59:38.94 ID:

後醍醐の役目は手柄に正当な評価を与える事
ところが世間知らずの缶詰貴族なんで、誰のおかげで勝てたか理解していなかった
セルを倒した後にZ戦士放置でミスターサタンを表彰して気がついたら悟空が敵だった感じ
46:2016/12/18(日) 12:19:27.29 ID:

>>42

後醍醐は誰のおかげで勝てたかなんて知っていたよ
しかし、後醍醐は大化の改新を模して悪い臣下を成敗し
天皇家による政治を目指していたのに対して
足利尊氏は天皇はこれまで通りのお飾りで
自分に天下をすべて渡せと要求した
そこで足利尊氏を成敗するしかないとなった

43:2015/11/27(金) 12:27:52.80 ID:

石破茂「俺の苗字は後醍醐天皇からもらった」 [転載禁止]©2ch.net [609535295]
http://fo x.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1448550950/
44:2016/12/18(日) 12:01:08.57 ID:

公家からすればむしろ武家に恩賞を与え過ぎると不満だったらしいが
47:2016/12/18(日) 13:16:54.02 ID:

天皇家というより自分とその系統による政治
尊氏にすれば武士の統率と既得権の保護を任せてくれれば後はどうでもいいというところだったのかも
49:2017/03/27(月) 18:13:20.35 ID:

くずでしょ!
後醍醐天皇はワンポイントリリーフで即位出来ただけなのに
父後宇多天皇の遺詔を無視して我が系統に皇位を伝えようとした
不届者である。また、その父後宇多天皇も父後亀山天皇の遺詔を無視して
我が系統に皇位を伝えており、まったく不届な親子である。
この系統が今に至っていないことが日本国の不幸中の幸いであり
この系統を守ろうとした楠などの忠臣は誠に不憫である。
58:2017/03/28(火) 01:28:42.50 ID:

>>49

いや、白河院も親の遺命にそむいて自分の子孫を天皇にしてるんで、
実は院政時代は親不孝が頻々と起きていた…
そもそも持明院統の成立自体が後嵯峨院の意志に反するものだったらしい。
天皇(皇統の家長)になってさえしまえば好きにできるなら、ゴダ子もさほど珍奇ではない。
後二条院系の憤懣は察するに余りあるけど、皇国史観はご都合主義で無視するようだね。
森友学園で、先祖不孝な白河・後醍醐・明治をどう評価するのか質問してみたいもんだ。

50:2017/03/27(月) 21:07:30.92 ID:

皇統譜上での諡号は
後醍醐「院」で
明治期の南北朝正ジュ論争期に
後醍醐「院」天皇になり
1920年、大正9年から
記紀神話も含めて全員を「天皇」に統一したんだぞw

51:2017/03/27(月) 21:15:49.20 ID:

倭の大王→日本の「天皇」諡号を始めたのは壬申の乱後の673年の
天武も持統天皇からで
以後奈良時代の重ソ1回を含む平安前期の村上天皇まで22人しか「天皇」はいないw

村上の次の冷泉「院むから江戸時代後半の後桃園「院」まで900年前後、56人f
は上皇、法皇と同様に「院」だw

欠史8代の創作も含めて天武以前に、かっこいい「漢風諡号」を創作したのは
奈良時代の淡海三船だw
後醍醐「院」は「天皇」などと自分では言われたかったろうがw

明治になる僅か28年前に崩御の光格「天皇」が神仏習合と奈良時代の国家仏教を理想とした
改革をした事績から約900年ぶりに「天皇」諡号が復活した。

54:2017/03/28(火) 00:25:35.23 ID:

>>51

>後醍醐「院」は「天皇」などと自分では言われたかったろうがw

神皇正統記は後醍醐天皇と言っとるね。
後醍醐院自身はたしか、天子尊治とか皇帝尊治とかいう文書を残してたと思う。

52:2017/03/27(月) 22:15:53.80 ID:

まさか「天皇」諡号復活前の歴代が「天皇ではなかった」とかいう阿呆?
53:2017/03/27(月) 23:16:41.63 ID:


ばーか!www
後醍醐「天皇」なんて呼ぶ時点で
1920年改竄の皇国史観に嵌まってるから
当時の諡号で考えろってのが解らないのか?www
55:2017/03/28(火) 01:03:28.69 ID:

そりゃあ
延喜/天暦の治を理想とし
醍醐天皇を理想としたんだし、
真言宗の立川流のコスチュームで肖像画を描かせるくらいだから
国家仏教から一貫した「天皇」諡号を望んだだろうよw

少なくとも1920年創作の皇統譜で
国家神道で一貫したらしくみせかけた「天皇」諡号ではなく奈良時代前後のなw

現実には冷泉院~後桃園院までの約900年間で安徳だけが唯一の例外的な「天皇」諡号
あとは後醍醐も含めて「院」なのが現実。

「皇室」は勿論、近代天皇制での創作用語だろうけど「陛下」は唐代にシナで皇帝陛下と使用しても
遣唐使、遣隋使は日本の律令制には輸入して使用しなかったから、これも近代からだろうw

後醍醐は唐の皇帝を理想としたから「皇帝」尊治と自称したかもなw
「建武の中興」も含めて「糞だ」との主張をするなら
当時の神仏習合と仏教文化の中の後醍醐「院」として冷静に観るべきだろさw

57:2017/03/28(火) 01:20:45.45 ID:

>>55

いや、続日本紀に「皇室」の語は登場する。
内閣などもだが、近代になって清朝をモデルに天皇用語を再整理した観はある。

62:2017/03/28(火) 02:38:03.53 ID:

>>57

「陛下」も皇帝陛下とか今上陛下とか、結構用例ありますね。

67:2017/03/28(火) 02:48:55.37 ID:

>>62

一応まあ、陛下と呼んでいいのは皇帝(大上皇帝もか)、皇后、皇太后だけなんすよ。
旧中国の価値観に従えば、日本のは僭称なんすけどね
(もっとも、中国以外で使用する自由もあったと思われ。外交文書で使ったらいけないだけで)。
王は殿下。
ちょっとマニアックなネタでは、台湾?の大河ドラマ『太平記』字幕で、「足利殿」などの「との」を殿下としてた。
日本語の「との」はそこまで偉くないよねw(普通の敬称)

口頭語彙の問題では、天皇に直接面と向かって「天皇」と呼んだら失礼で、陛下と呼ぶべき。
対し、「みかど」「おかみ」「主上」「皇上」(清朝ではこう呼んでた)などはそのままで不敬にならない。
「陛下さま」は過剰敬語で、慇懃無礼になると自分は思います。
単に院でも非礼ではなかったと思います(院さま、と呼んでたのを想像できない。院が複数いたら、本院、一の院、新院などと呼んでた)。
「殿」は最上級の敬意で「殿様」と書いた例はあります(室町殿様)。
過剰敬語だろうけど、まあ「とのさま」だからw

56:2017/03/28(火) 01:18:56.60 ID:

歴史本の類では中世も「何ちゃら天皇」と書いてる。
逆に言や、和風の長たらしい諡号のほうがよっぽど使われず、忘れられていたろう。
学者のいう「天皇なんて言い方はしなかった」は何より口頭の話だろう。
(仏教の盛んな時代ゆえ、仏教の天王とまぎらわしかったから?)

ちなみに五胡十六国の北朝に天王を称した人はいた。
これが天皇の語源の可能性もある。

ゴダオが変人ではあっても、時代の子であった点は変わらず、院号を使っていたろう。
もっとも、そんな昔の「天皇」や「皇帝」「皇室」は他国の許しをもらってたとも思えないので、僭称であり、
対外でも対内でも国は「日本国」であって、外国に対して「日本帝国」と書くことはなかったろう。
言わばベトナムと同じ。
ベトナムはもう慣用的に皇帝・帝国と呼んでて、バオダイ帝なんて呼ぶから、「日王」「王家」論ではベトナムが勝ってると言えるな。

59:2017/03/28(火) 01:33:14.54 ID:

籠池は二二六将校を持ち上げてるくらいだから
個々の天皇のことなんて考えてないよ
A級合祀した靖国宮司とおんなじ発想
60:2017/03/28(火) 02:02:00.39 ID:

近代になって後期国学や水戸学の馬鹿どもの言いなり近代天皇制創作したんだから
シナの時代モデルは「宋」だろう!www
61:2017/03/28(火) 02:05:29.65 ID:

学者の言う「天皇」なんていう言い方はしなかった、、、が口語限定という話ではなくて
皇統譜での「院」諡号の時代が900年前後続いたということw

「てんのう」は、仏像の4種類のうち悟りがヒトに一番近い「天王」を連想する日本人が殆ど
だったわけだw

63:2017/03/28(火) 02:38:51.80 ID:

>>59

右翼は支離滅裂だからなー。
三島由紀夫は武士が何だかわかっていなかった。

>>61

朝廷の公文書は知らず、歴史を扱った本では某天皇との表記はあった(ただ、天王とも書いていたことも指摘しておく)。
多々あるんで、近代人が勝手に改竄したわけではない。
そもそも太古の天皇なんかファンタジーなんで、まともに相手する意味は無い。
「天皇なんか継体天皇以降で十分だ」と言っていいほど。
仮に天皇の前に天王としていたなら、中国皇帝への配慮だった可能性もある。
皇なんて字に異様に執着するのは歴史無視の馬鹿者とお相撲さんだけ。
蝗や恥垢のどこがありがたい?

64:2017/03/28(火) 02:40:00.67 ID:

天皇陛下と言っているのは
朝鮮人のような人たちばかりだよ

古代のテンノウとは違うんだよ

65:2017/03/28(火) 02:41:15.12 ID:

他のスレにも書いたけど

何を偉そうに語っているんだ

66:2017/03/28(火) 02:48:08.02 ID:

それで

その天皇陛下の家系というのは直系、一系なの

69:2017/03/28(火) 02:59:19.83 ID:

>>66

一応、天皇は全部男子直系でつながっとるよ。(※あまりに古い時代は証明しようがないことは念を押しておく)
より正確には、過去に天皇となった人は男系で以前の天皇の末裔。

天智―※シキ―光仁―桓武
高倉―※後高倉院―後堀川
崇光―※栄仁―※貞成(後崇光院)―後花園

みたいなのは、※の人は天皇にはなってない。
後高倉院と後崇光院は天皇にはなってないけど、当然、天皇同然の扱いだった。
だから、現行の「天皇制」は彼らの処遇をいいかげんにしてしまってる問題点もかかえている。
対し、廃帝とされた弘文・仲恭などは昔は代数に含めていなかった。
あと、神功皇后を天皇と見なすかも未決着(少なくとも俺はそう考えてる)。

68:2017/03/28(火) 02:50:38.49 ID:

それで
70:2017/03/28(火) 03:06:31.39 ID:

後高倉院と後崇光院は天皇にはならなかったが太上天皇になった。
71:2017/03/28(火) 03:13:22.57 ID:

>>70

多分に名誉称号なんだろうけど、足利義満を鹿苑院太上天皇と呼んだことはあって。
一応、息子で足利家当主の義持が辞退したけど、義満を上皇と呼んだ人はいたと思われ。
院政期は、時の天皇在位者より皇族(と書くと意味範囲が不正確かも)の家長のほうが偉かったから、
実は長い歴史でめんどくさい変遷を遂げてきた天皇制そのものが統一的に考えられるかって問題がある。
まあ俺は「後高倉院と後崇光院は天皇だと考えていいだろう」と思ってるけどね。

73:2017/03/28(火) 03:30:14.45 ID:

>>70

統一的は完全ムリでしょ。
現行の制度でさえ皇位継承に関しても、旧来の践祚は「即位」、即位を「即位式」としているし、
今回の生前退位後の称号問題でも、「上皇」を推してる人も、由来は太上天皇から来ているが今回のは太上天皇ではない、
みたいな小難しいこと言うしね。
言葉遊びのようでもあるが、まあしかし言葉の問題は重要なんでしょう。
上のほうでも院号だ天皇号だでやり合ってるし。

74:2017/03/28(火) 03:37:01.23 ID:

dead endというバンド、とある曲があるでしょ

:何も見えず 何も聞こえない 何も悲しまない

指示を与えるだけ、命令のような意味だよ

75:2017/03/28(火) 03:41:43.22 ID:

DEAD END といえば ゴダイゴ
歳がわかってしまうなあw
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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【歴史】れきまと!!!【まとめ】












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