頼朝・義経のファンからのスケープゴートになっている感もある。
ペリー、フランシスコピサロ
小早川は関ヶ原の裏切りが有名すぎてイメージ悪いんだろうが
弱冠19歳の青年が、東軍の親戚浅野長政からは「叔母上高台院様は東軍につけと仰せだ」ともちかけられ
西軍三成からは秀頼が成人するまで関白になっていいからと持ちかけられ
もうパニックになってたんだろうと思うとそこまで酷評できんがな
インカ帝国滅亡させた本当に悪い人物。
一休人気のせいですっかり悪者のイメージがまとわりついてしまったが、「五山之外」の大徳寺が興隆したのはこの人の政権工作の賜物。
ゲームの主人公になった(そのつながりでファミスタのナムコスターズにもいた)し
ファンは多少いてもアンチはいないだろ。
前者は結構実力を評価されたり好意的な見方もされているにに対して
後者はそんなこともない。
海音寺潮五郎の著作でも前者が『武将列伝』に入っているのに対して
後者は『悪人列伝』だった。
なぜだろうね。
斉藤道三が織田信長の舅だったからプラスイメージになったとか?
戦国大名として名を馳せた
それにくらべ松永久秀はいろいろやってる割に雑魚感が否めない
兄の佐藤栄作は、何も功績がないのにノーベル平和賞とってるがどっちも極悪。
岸が兄で佐藤が弟
強盗慶太
堤康次郎
新羅三郎
気違い兄弟
松永、柳沢、吉良、田沼
特に田沼は評価もされている
頼長は人気ある
近い時代なら信頼
田中義一は評価されている
近い時代なら近衛
岸は大きく評価されてる
井上馨が>>1
の例に近い
俊寛は同情されるキャラクターだ。
江戸時代の三井は、謂れのない「悪徳商人」のイメージが現代人にはあるよね。
世間の評価と逆のことさえ言ってれば玄人みたいな馬鹿学者の本はともかく
山縣にファンなんかいない
まぁ山縣有朋は人気ないな
実際に平安時代ぐらいに書かれた史料で
入鹿のことを「日本の董卓」と貶しているものが有ったはず。
蘇我倉山田石川麻呂はいいひとだお
蘇我山田石川麻呂は持統・元明天皇の祖父なので
急遽いい人設定の説話が盛り込まれたのだろう
だけど蘇我山田石川麻呂って蝦夷は伯父、入鹿は従弟で直系でないとはいえ
蘇我馬子は直系の祖父なんだよね
つまり持統・元明天皇は蘇我馬子の血をもろに引いているわけなんだが
蘇我馬子が悪人設定のままなのはどうなんだろうね
物部守屋との争いの時は守屋がヒールで馬子は善のような扱い。
聖徳太子と同じ側だし、(その後の歴史で“勝者”である)仏教を保護したのだから
そういう扱いなんだろうけど。
蘇我系の寺を焼き討ち、仏像を倒すなど描くから
イメージ悪くなったと思うけど。
実際の御輿、守屋らのモデルはそんな強権の人物で無いと思うが。
これも天武側の悪人脚色あるんじゃないか?
歴史マンガに描かれていた
全裸で四つんばいにされ尻を鞭で叩かれる善信尼たちに
興奮しまくった小学生の頃の俺・・・
物部守屋が滅んでからは専ら蘇我馬子は悪役だよ
崇峻天皇暗殺とかね
推古天皇が甥の聖徳太子を摂政に任じて悪の馬子の権限を抑えたため
善政を行うことができたことになってる
だから「完全な」悪人扱いではないでしょ。
途中から酷くなったということなら秀吉とかだったそうだし。
歴史マンガの馬子は横暴だけどどこか憎めないところもあるオヤジ
という感じの描かれ方をされていることが多かった。
入鹿になると完全な悪人扱いだけど。
守屋と馬子は両方悪役だろ
両者の悪口合戦とか酷いものだ
秀吉は天下を取るまでは才人だったが
馬子は最初から褒められてないよ
昔の大河でフランキー堺が演じていたのは絶品だった。
山名も細川もイメージ自体がない
鳥羽法皇の崇徳上皇への冷たい仕打ち。(何事も叔父子と罵る)
あれでは鳥羽法皇に悪役イメージが付く。当たり前。
守屋が勅命をたてに仏教を弾圧する様を
厩戸皇子と一緒に悲しんでいるところは人情味があるように描かれているし、
守屋との戦は完全に馬子の側が正義扱い(厩戸皇子が味方に加わっているからそう見られるのも無理ないが)。
日本書紀では馬子は一貫して悪役なんだが
おそらくお前が読んだ「聖徳太子」の漫画かなんかでは
聖徳太子と組んでた頃の馬子はいい人だったと創作されてるんだよ
この原因を作った先代の天皇
一般的なイメージを語るスレだろ、これは。
一般的なイメージでは吉良上野介とか越後屋は悪人。
歴史マニアがそうじゃないと力説しても
一般的なイメージがそうであることは変わりない。こういうスレでは意味がない。
オタクってのは得てして「自分の常識=世間の常識」と勘違いしがちだが。
だから、一般的なイメージを語っている
一般的なイメージで蘇我馬子は悪役だよ
蘇我馬子は聖徳太子と協力するいい人でした、っていうのが
ここの粘着が読んだマニアックな漫画しかないわけで
すべては堀河天皇の責任ということか。。
その割に実の息子を殺した武田信玄・徳川家康はイメージ悪くないんだよな
-48
山県に何かのイメージを持つような層は
学者の本読むなり聞き齧るなりするインテリ層だろ
それ以外ではイメージ自体持たれん
山県はその実績は評価しても性格は嫌いって奴多くね
司馬遼太郎か誰かもそんな事言ってたよね。
あと大規模な汚職事件も起してるんで一般的には好かれない人物でも仕方ない気も
悪いイメージしかないね。
原敬は憲政の偉人。
悪いイメージで学校教育受けたが。
石橋湛山
金丸信
小沢一郎
この名前
日本史板で久々に見た気がするw
司馬遼太郎あたりに筆誅されてる連中は世間的にも
イメージ悪いんじゃ
小学生の頃読んだ歴史漫画で殺されて当然って書かれ方してたよ
大人になった今、なんでこんなに悪人イメージと思う
藤原氏のやったことと同じ事をやってただけじゃないの
蘇我馬子
蘇我蝦夷
蘇我入鹿
藤原氏と同じじゃないんだなこれが。
大和・飛鳥時代は成人でなければ天皇になれなかった。外戚といっても、孫を後見して権力を握った訳ではない。
しかも皇位の直系継承はまだ確立されておらず、蘇我腹の皇子が少ければすぐにだめになる。
応天門に放火したのは良房じゃないのか?
蘇我氏を外戚とする飛鳥時代の天皇=用明天皇と推古天皇
用明天皇は叔父蘇我馬子の意見を入れて天皇として初めて仏教を国教として認めた
推古天皇もまた叔父蘇我馬子の言うことはほとんど聞かないことはなかったと発言
蘇我氏を外戚とする天皇の登場で蘇我氏の権力が増強されたことは事実だよ
鈴木宗汚。
放火犯は伴善男。
江戸時代で、高家吉良義央
戦国時代で、足利義明
平安時代で、梶原景時
読め
「全く評価も人気もない人」だぞ
南米では以前手錠の付けられたコロンブスを描いた画像を掲げた
「ゴーホーム白人」みたいなデモがあったとか?
国が違えば立場が逆になります。
韓国では嫌われ者?の伊藤博文も日本ではお札の肖像なっていたと同じです。
(伊藤は韓国併合は消極的だったというメモが見つかったらしいが)
花の慶次ひどすぎたろ。
伊藤は併合には消極的だったが、最後は日本閣議の併合方針を承諾。
また統監として、朝鮮の国権剥奪や抗日弾圧に関与してた。
朝鮮の抗日派が、伊藤を敵視するのは普通の事。
安重根の本心は、当人にしか分からないが。
アーサーマッカーサージュニア(ダグラスマッカーサーの父)ら
アメリカはエミリオアギナルド(フィリピン初代大統領)ら独立派に
独立に協力するとして米西戦争でアメリカ軍に協力させた。
しかしパリ講和によりフィリピンをスペインから2000万ドルで買取
独立の約束を勝手に反故にした。怒ったフィリピン国民が反乱奮起すると
大軍で住民虐殺(その数60万人とも)しリーダーのエミリオアギナルド
を人質に捕らえ反乱を沈黙させた。(手法はピサロ其のもの)
アーサーマッカーサージュニアは初代アメリカ領フィリピン総督。
しかしフィリピン国民はあれ程辛い目に逢わされたのに韓国の伊藤みたいに
アーサーマッカーサージュニアやアメリカを悪く言っていない。
なぜか?韓国の伊藤よりアーサーマッカーサージュニアらはフィリピン国民を
弾圧国権剥奪もせず大事に扱ったというのか?
伊藤が打たれた弾にカービン銃の弾(安重根は拳銃)があったり
後に安重根は「伊藤は孝明天皇を暗殺した」と述べてるところから
反伊藤派に唆された謀略を感じる。
(下級武士の伊藤が天皇に近づけるわけが無い、岩倉、三条らなら別だが)
司馬の影響で世間の評価が下がった人となると、
やはり乃木希典かと思う。戦史に特筆すべき名将、天才と
呼べないだろうが、無能とまでいえる程かどうか。
コソコソ逃げて「日本に捕まるのが怖い」って日本は北朝鮮か?
自分の意思貫くなら韓国に亡命して「犬食反対運動」堂々とやれって!
「1867年、大日本明治天皇陛下父親太皇帝殿下弑殺の大逆不道の事」
安重根に上記の件を伝え、『伊藤博文の罪悪』に認めた、
あるいは認めさせたのは誰(組織)だったのだろうか?
そちらの影響かもしれない。
それはイメージじゃなくて評価。
ハラ切って詫びろよな日本国民全てに!
イメージが悪いというか悪いイメージしか残してもらえなかったというか……
まぁ捕鳥部萬さんのことを思えば仕方がないけどね
『武田勝頼』
いや、私は好きだけど一般的には。
この辺は、イメージだけで敬遠されすぎだろう
如何にも悪人顔 悪役顔で書かれすぎ
ちゃんと、功罪で語るべき
完璧超人な聖人君子など、この世にはいないのだし
俺の安国寺恵瓊像は、NHK大河ドラマ「黄金の日日」で神山繁が演じた安国寺恵瓊像だから、
あまり悪いイメージはないな。
利休が五千貫という破格の高値をつけ太閤の不興をかった呂宋壺を一万貫で買い取り、
買い取った後で「殿下に気に入られたようじゃのう、そちのカワラケは…」と言いながら、
その場で叩き割ったり、
六条河原で斬首されるときに、自分に対して読経しようとした僧侶に対して、
「わしゃ坊主だぞっ。汝が如き七条道上の乞食坊主の十念なぞ受けずとも、己が経文で極楽往生してみせるわい!」
と言い放った豪放磊落なかっけーイメージしかない。
政争でイメージ悪いだけ
義経殺害や平泉を滅亡させた暗愚あつかいだけど、あの状況では誰が当主でも無理だわ
田沼意次は本人が悪かったわけではないと
同情する意見を聞いたことがある。
児玉としお
道境
あれ、原作にも、他の隆慶作品にもないよね。
利休出すためにわざわざああしたのかな。
前田玄以や前田利家もちょっと酷かったがw
年寄りは判官贔屓補整が強そう。
景時はもちろん、頼朝、清盛もダメ。
光秀、家康もアンチ多そう。
幕末維新は、大半の人がそもそものイメージを抱くまでにも知っていないと思うんだけど、少しかじると薩長地元補整がかからない限り二流が造った明治論で、歴代首相なんか軒並ペケになりそう。
よしお、では?
子孫からもdisられるって…
サンクス
ずっととしおだと思ってた
追加で築山御前と大賀弥四郎
武田信虎
八重
松平忠固
軍部大臣現役武官制も治安警察法も悪法だわ
東條英機
木戸幸一
松本治一郎
日本書紀の記述は多少割り引いて考える必要がある。
俺の上司になってほしくない歴史上の人物NO.1
吉良義央、荻原重秀、田沼意次、鳥居耀蔵、
水戸黄門は辻斬りが趣味
梅毒で顔が醜く崩れたこともイメージが悲惨
不謹慎だけど何かハンセン病患者思い出した
から見て
武烈天皇
藤原良房
藤原時平
源行家
北条高時
鳥居耀蔵
近衛文麿
辻政信
牟田口廉也
実力があって悪の魅力がある、いい面もある、悪役すぎて同情されている、
といった評価もあんまりなくて
>>1
の主旨に合ってるのはこの辺
三島通庸はどうだろう。
イメージ悪そう。
古河市兵衛
陸奥宗光
原敬
山県有朋
恐怖政治を敷いた平頼綱
三島通庸は、廃道マニアの間では神扱いされているらしい。
これはマジな話。
らい病じゃなかった?
定説ではらい病だが、新説も出てきているということでは?
①小早川秀秋公
…優柔不断のひ弱な武将に見られがちだが、朝鮮征伐の蔚山城攻防戦では
勇猛果敢にも自ら先頭に立って敵軍へ突撃し、明・李朝軍将兵の首を多数撃ち取る
武功を上げるなど決してひ弱では無い事を示している。
また、どうであれ小早川の行動により関ヶ原の勝敗が決したのは揺るがない事実であって
小早川の実力が過小評価されてしまっている。
②明智光秀公
…略
①小早川秀秋公
…優柔不断のひ弱な武将に見られがちだが、朝鮮征伐の蔚山城攻防戦では
勇猛果敢にも自ら先頭に立って敵軍へ突撃し、明・李朝軍将兵の首を多数撃ち取る
武功を上げるなど決してひ弱では無い事を示している。
また、どうであれ小早川の行動により関ヶ原の勝敗が決したのは揺るがない事実であって
小早川の実力が過小評価されてしまっている。
②明智光秀公
…略
有り得ないぐらい光秀がいい描かれ方をされていた。
信長のやろうとしていることは先が見えぬ、
それなら自分が捨石になって秀吉に良き国を作ってもらおうという、
まるで国の行く末を案ずる光秀と秀吉の友情物語みたいだった。
明智の地元ってどこ?
明智光秀の主城だった滋賀県の坂本城跡には光秀像が建っているが
あそこは地元ではない
同じ戦国でも松永久秀とか斉藤道三と比べてみろよ。
江戸時代の歌舞伎からすでにやってたからな
歌舞伎ってのは江戸時代の旅一座が公演したのが始まりじゃないか
歌舞伎は出雲阿国が四条河原で公演したのが始まり
その後江戸幕府が風紀を乱すとして女性が歌舞伎を演じることが禁じられ
次いで同じく風紀を乱すとして美少年が歌舞伎を演じることが禁じられて
遂にはおっさんのみが舞台に出る現在のような歌舞伎となった
イケメンのイメージがあるのも大きい。
江戸川乱歩もヒーロー役を「明智小五郎」なんてネーミングしないわな。
その話も誰かの創作くさいけどな
戦国乱世が終わり悪くいえば世の中がヒマになってきたりして
出し物が流行りはじめる素地はあったんだよ
旅芸人なんて古代からいたのだし戦国時代特有のものではない
ただし歌舞伎の起源といえば出雲阿国だという話をしているだけだが?
出雲阿国は伝説上の実在しない人物だと思ってる?
こいつにいいイメージは皆無。好意的に描いてる作品も無いし。
良い面が取り上げられることが全然ないしな。
BASARA
しかしそれはマニア以外には全然知られていない。
茶器バカじゃんw
別の角度からの視点が入ってイメージ変わりそうだ
妻子を見殺しにして自分だけ逃亡しのうのうと生き延びた荒木村重も
なんか今度の大河で憎めない男になっている
いつの時代の話してるんだ
織田有楽斎
いや悪いってw
悪くないなんて思ってるのは戦国マニアだけだろ。
名将なのに…
今川義元はイメージが悪いというより
無能なイメージだな。
日本人は史実と創作ものの区別がつかない人種か
一般的なイメージを語るスレだから
史実とか創作とか関係ない。
義経人気の割を食ってイメージ最悪。
実力ではずっと劣るのに頼朝に義経より優遇されたが
何も出来なかった凡将と思われてる。
別に悪くないだろ。
困窮する庶民を助けず自分は贅沢三昧のイメージだからか?
小説やドラマを信じる馬鹿発見
健筆やそれを原作にしたテレビドラマによって日本人の間に浸透している。
そして、大衆作家の草分けであった司馬遼太郎氏は、
南北朝から室町時代が嫌いで、「この時代はクズみたいな人間しかいない」旨の発言を繰り返した。
そして驚くなかれ、この暴言が「歴史の通説」になってしまったのだ。
大衆作家の好悪が歴史の通説になるような不健全な環境は異常である。それだけでも、この国の歴史認識の幼稚さが良く分かるというものだ。
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/japan6.htm
イメージの良しあしを決めるのは
ドラマでよく書かれているか悪く書かれているかで9割9分決まる
誰も歴史書や史料など読まないから
歴史書を見ても悪意ある解釈しか出来なくなるもので
昔から歴史書や史料なんかより娯楽作品でイメージ・人気が決定されてきたわけだしね:
331 :日本@名無史さん:2012/04/23(月) 19:38:37.50
歴史上の人物を題材にした能や狂言、歌舞伎を見て
観客が特定人物に感情移入したのが判官贔屓(判官は元祖源義経を指す)の始まり
源義経ものは「安宅」「義経千本桜」「勧進帳」など
義経ものをやれば外さない程に皆から愛された演目だったらしい。
特に美男俳優が義経役を演じたのも義経容姿美化に一役買ったのかも。
昔の人も舞台に大いに影響された。
悪いイメージばっか。いいイメージは皆無。
正統性なき政権簒奪、自己保身のみの対外政策、秀吉政権に関する歴史の捏造による今日までの日本の教育・研究界への大犯
その徳川家康を狸おやじにした薩長はどうよ?
徳川家康を狸おやじにしたのは薩長ではない
江戸時代の歌舞伎や人形浄瑠璃ですでに「狸親父」にされている
(勿論、そのままでやると幕府に咎められるので家康は名前を変えられているが
見ている人は家康のことだとわかる内容)
戦で劣勢になると「切腹する」と言い出して家臣に止められることもしばしば。
情けないイメージや気違いのイメージが定着してしまっている。
冗談でしょ?
平家を没落させ総大将なのに自害できず敵につかまりに泳いで行った
情けない人。
それだけ役者がいい演技していたとも言えるんだけど
嫌がらせして他人が悲しんだり苦しんだりしてるのを
見るのが悦びみたいな。
「忍び寄る魔の手」だったぐらいだ
しまうところもある
>>255
いい感じ
>しまうところもある
それはそうだが、ファンはほとんどいないと思うぞ。
義経ファンがアンチ頼朝の観点から後白河を持ち上げることはあるだろうが。
畠山義就
朝倉孝景とかの評価が良いのがよく分からん
どうだろう?
頼朝と義経の関係が悪化した原因のかなりの部分は後白河が作ったように見えるんだが
もちろんそこにはあらかじめ源氏の勢力を削ぐという目論見があるんだけど
(頼通と教通兄弟を争わせた後三条天皇は有名。だが後三条は賢帝扱い)
しかし源氏の身内殺しは激しいから後白河が何もしなければ
頼朝と義経は仲の良い兄弟で終わったとも思えんが
どのみち平氏追討で名声をあげた義経は頼朝にとって邪魔だったろうし
息子頼家に政権委譲したい頼朝にとって武運に優れた弟の存在はうっとおしい
馬引かせた時点で頼朝は義経に親愛の情なんかないだろ。
親愛というより弟は家来という意識だな
そんなイメージ悪いかなあ。コウモリっちゃコウモリだけど。
情けなくしかも卑怯なイメージしかない
でも、天皇、、、楽してたから究極のイメージ悪いか
父親が別宅に住む別の女に産ませた息子。小さい時から会うことはほとんどない
むしろ、母親から恨み、悪口を聞かされる。
当然、郎党家来も別系統がつく。そんな育ちをして、血縁も半分しか重ならない。
母親も一緒の兄弟以外は、むしろ競争相手でライバル。
まして本妻の息子からみれば、危険な親族。早く身分関係のマウントを明確化したいだけ
でも義経は家来と考えても有能な家来じゃないか
むしろ同母兄弟のほうが後継者をめぐって殺し合いしている例が多い
頼朝の同母弟はごく初期に戦乱で命を失っているため後継者争いに発展しなかっただけ
(後継者争いになりっこない妹の坊門姫と仲が良かったのはそれはそれ)
義経は叙位などが武家源氏としての後継者争いに引っかかったためだろう
>>277
義経は純粋な頼朝の家来とはなりえなかったのが仇だったのだろう
頼朝の弟で平家追討の武運もあり武家源氏の継承者の一人となっておかしくなかった
無能、そのくせ義経を差し置いて頼朝に重用されるイメージで
義経ファンから嫌われてる
義経ファンから嫌われてるだけじゃん
義経ファンは多い
あれはテレビの描き方次第だからな
テレビだけでなく義経記や近年に出た子供向けの義経の伝記や漫画でもそういう描き方されてる>範頼
また義経研究書でもあの時点で義経と景時は五分五分という見方がされているんだけどな。
庶民は研究書なんて関係ないからなあ
大人気の悪左府をいじめたからか?
狂言自殺したから仕方ない
東条英機だろ
当たり
>>256
-269を参照するがよろし
ファンも多いと思う
ファンは絶対いない
梶原平三誉石切
何それ?
ggrks
正反対の人物だろw
近年の大河ドラマに見る秀吉下げ
「利家とまつ」…秀吉は毎回親友前田利家の功績を横取りするコスイ男
「功名が辻」…秀吉は甥で養子の秀次から政治批判されると怒り狂って殺してしまう肝の小さい男
「天地人」…秀吉は金品で人の心をつかんで自分に従わせようとする金ボケ爺。直江兼続を直臣にしようとして兼続に断られる。
「江」…秀吉は市や淀に言い寄って徹底的に嫌われまくるキモい色ボケ爺(市は秀吉の女になるのが死んでも嫌で自害した)。
江から毎度馬鹿にされている。諸大名の上にたつとは思われぬ小粒男で江が政治指南役。
知名度は低いが、いい線いってるかも
バカ殿の振りをしていただけ
ここぞというときには驚くほどまともな行動をしているし
幕閣にも評判悪くなかった
-373
しかし幕府を油断させるためとはいえ
江戸城内で野グソなんてしたら逆に咎められないのか?
ファンはいないと断言できる
神君にあやかりましたー!
何が悪い!!
何を言う、あれはクソではのうて焼き味噌じゃ!
リアルタイムの頃は本当にそういう風に言われたらしいね
アンチ家康なら共感はするかもしれないが、ファンはまずいない
あーくさやくさや
平民と皇族しかいないし、
皇族だってほとんどが平民になってしまってたんだが
平民以外のどこから皇后を求めろって言ってたんだろう?
実際には既に廃止されてはいても
当時はまだ華族・士族・平民の感覚が色濃く残っていたんじゃないかな。
で、華族みたいに良い家柄から皇后を求めろっていうことだったんだろう。
同姓の本多忠勝が人気なだけに損をしている部分もあるが
地元以外ではファンは極めて少ないと思う
確か他のお妃候補には元皇族の娘とかもいた
そっちだったら今頃落ち着いてたかもしれないのに
そっちを蹴って平民の娘を選んだから
尚更批判されたんだろうね
うん
蹴った理由はタイプじゃなかったかららしい
昔だったら絶対にあり得ないことなのに
まあそれなら年配者は怒る人が多かっただろうな
梨本宮伊都子様が生きてたら雅子様どんな反応するのか気になる。
佐賀藩士の血引いてるけど
喜ぶのか、かつての家来筋の風情で、っと不満に思うのか
怒りそう
それに美智子妃と違って平民出身だからだけじゃなくて公務に出ないからっていう理由も出てきそう
なんでこんな人がお妃になれたの?って思ったりするんじゃないのかな
(イギリス国内で好意的に捉えられているのか怒ってる人が多いのかはよく知らない)
美智子妃の時もそういう感じだったんだろうな
多分ね
イギリスは今でも貴族制度があるからそういった意識は日本以上に強いと思う
なぜ平民出身がこんなに騒がれるのか分からない
美智子妃の時はもう制度自体は廃止されていたけど
そういうのがしみ込んだ世代が社会の中心だった時代だから
家系が士族でも、やっぱ平民てのが気に食わなかったじゃ
それなのになんで昭和天皇は二人の結婚を許したんだろう
他の皇族や元華族達があそこまで強く反対したんだから適当な人と結婚するように説得できたはずなのに
今の天皇陛下は父方も母方も皇族なんだからそれに見合った人と結婚してほしかったよ
正真正銘の令嬢だったダイアナがあんなだったから?
それにカミラも母か祖母が男爵か子爵の令嬢だったはず
ダイアナは本当に悲劇のお妃だったからね
チャールズはカミラと上手くやっているんだろうか
イギリスは貴族多すぎだな
末端の下のほうは家格に見合う財産もなく普通に一般人と生活も、そう変わらないらしいが
財産持ってる家は日本の旧華族とは桁違いに持ってる
もちろん
平安以降も藤原氏などの貴族か皇族。唯一の例外が東福門院和子。
近代以降は、一条、九条、久邇宮。
やはりアキヒトの責任は重い。
美智子妃が入ってきてから左寄りの皇族が生まれたような気がするのは気のせいかな?
昔の皇族は日本のためになることをするのが当たり前だったのに最近はなんかおかしいし
お前のアタマの方がよっぽどおかしい
早く病院へ行って来い
雅子妃とか見てて何とも思わないの?
あれで次期皇后とか
なんかおかしいのは竹田何某だろ
KOの講師もクビになったから、憲法学者を自称もできなくなったし。
昔の皇族って日本のために何してた?
旧皇族は新興宗教起こしてみたり女性問題起こしてみたり
まだ今の皇族のほうがマシなんだがな
慈善事業なら美智子妃は昭憲皇太后が創設した日本赤十字の名誉総裁をやってる
(明治天皇の皇后以来、歴代皇后が就任する伝統がある)
皇族と言っても今の天皇の直系だな
傍系はアル中殿下だの性病にかかられた女王だのなんかよく分からん
最期がどっかの大富豪の息子と車相乗りで死亡では
ダイアナは本当の悲劇のお妃ともいえんのでは…
アル中殿下はもう亡くなってるから数に入らないけど
とりあえず東宮家と高円宮家以外だったらいいと思う
変な勢力とも関わりがないし
「私たちは結婚して皇室を離れるという教育を受けてきた」
と言い続けてたが当の2人の女王は現在いずれも30歳を超えて未婚
いつアル中殿下の教育の成果が出て晴れて成婚なされ
皇室を離れられるのやら…
皇族とか王族に夢みすぎ。
昔から、ああいう連中は庶民から搾取した富で贅沢三昧してきた輩だ。
むしろ、ガチガチの模範的な生活を強要されてる現代のほうがおかしい。
だからマサコみたいに、外から入った人間は鬱になったりする。
正直雅子妃は入内しなければ良かったと思う
就職経験したことがあるし出身もあれで宮内庁から何度も反対されていたのに
紀子妃と違って雅子妃は昭和の時点では入内すらできなかった
あのまま外務省に残ってれば、いまでも現役外交官か大学教授か国会議員か、
テレビのコメンテーターくらいになってたろうに。
あんな女が姑だったら平民でも学習院の出だったりよほど玉の輿願望の強い女じゃない限り精神を病む
せめて姑が香淳皇后や高松宮妃のような性格やキャラだったらメンヘラにはならなかったと思う
やっぱり今上天皇は肇子女王と結婚すれば良かったよ
嫌だ好みじゃないとかそんなこと言わずにさ
美智子妃みたいなリベラルな人は皇后にふさわしくない
おまエラはさぞかし大名家の子孫なんだろうな?
悠仁さまVS愛子様天皇になるのはどっち?
http://aw2abi.2ch.net/test/read.cgi/history/1404193408/l50
【皇統断絶】女系天皇アンチスレ【王朝交代】2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1407834807/l50
妃殿下叩きの週刊誌ネタが好きな鬼女は
あんまりあちこちのスレを浪費するな
およそ日本史の話題と関係ない
遺族年金の非課税は即刻止めるべき
税金ぐらい払ってもらおう
一郎?
もちろん
イメージ悪いどころか、存在が無かったことにされそう
恥ずかしながら、存在も知りませんでした・・・
>>448
端的に言うと
坂本龍馬暗殺事件の黒幕 会津藩公用人
『お~い龍馬』の読者にはイメージ最悪
イメージが悪いというより、何がしたかったのかわけがわからん
⇒初陣の朝鮮征伐・蔚山攻防戦で自ら敵軍へ突撃を敢行。
明・李朝連合軍の将兵多数を討ち取る武功を上げるという勇猛果敢ぶりを発揮した。
⇒関ヶ原での小早川軍の寝返りが結果として勝敗を決した事実と共に
一切戦わずに傍観姿勢に徹した武将が多数存在した事は余り触れられていない現実。
明智光秀…卑怯な謀反人で無計画な野望家
⇒尊皇・佐幕で敬神崇仏の心の持ち主だった。
⇒信長の為に母親が処刑されてしまった。
⇒信長にはかなり侮辱暴力を受けつつも我慢し続けていた。
⇒信長が皇室・朝廷を滅ぼす野心を抱いていると考え、諌めようと努力していた。
公家一統とかしてる
ぶっちゃけ足利将軍より 勤皇家だし
光秀はイメージが悪いどころか結構人気あるほうだと思うぞ
山岡宗八史観だと信長はバリバリの勤皇家だね
教育上よろしくない
そうです
除く新潟
なんで?
日本2大悪人!
嫌いではないが、どうも手放しに評価できない
尊氏を入れて3大悪人というのもある
平民のくせき東宮妃→皇后になりやがったから
弟嫁と逆だったら良かったのにね
君の家に右翼来ないか?
その二人を並べる意味は?
何か共通点がある?
政策が良くて仁政
悪ければ バラマキと情実人事
津軽姫でも皇后としては微妙
せめて肇子女王夫の妹の島津姫姉妹レベルの家柄でないと
やっぱりそれくらいじゃないとダメか
まあ当然だよね公爵と伯爵では全然違うし
田中角栄はバラマキといっても地元だけでは?
新潟県行くと道路の良さに驚くし
新潟市行くと大都市並みの発展ぶりに驚く。
でもそれ、見方を変えると地元しか 列島改造出来なかったともとれるのが、
無論 バラマキ自体 悪って訳ではない
だから>>501
は田中角栄のバラマキを批判してるんでしょ。
保科正之みたいに地方藩主なら地元だけ考えればいいけど、
国全体の統治者がそれでは困ると。
地元だけでは人気
何故?忠臣蔵のお陰で少なからず観光収益として地元に貢献しているんじゃないの?
明治以降は再評価されるようになったとか
只、諸侯に弾劾された経緯を考えると源家の忠臣でありつつ
敢えて嫌われる役を引き受けていたんだろうな
生前は赤穂藩の借金を増やしすぎて 領民の評価は良くなかったらしい
一部では赤飯炊いて 切腹を歓迎した百姓も
吉良と正反対
そうか?義経殺したのって結果的に失敗だったんじゃないのか?
現に源氏は3代で滅亡してしまったのだし。
>吉良と正反対
面白いね
>一部では赤飯炊いて 切腹を歓迎した百姓も
不謹慎というか悪趣味だなw
何せ 五万石で本丸がある長大な赤穂城作って財政難に陥ったエピソードがあるくらいだし
塩田も財政難がきっかけで始めた
しかも 内匠守さん時は 供応役やらされてたし
ぶっちゃけ刃傷無くても そのうち改易したって話すらある
おまけに吉良上野介を討ち損じるし。
爺一人くらい、きちんと討ち取れよと・・・
この討ち損じさえなければ、内匠守乱心の上の沙汰として、
喧嘩両成敗で穏便に済んだものを・・・
辻斬りをしたり妊婦の腹を裂いたり・・・
赤穂城建築は家光が「西の抑え」としての命令だったと思う。
多分家光は池田あたりを警戒してたのだと思うが、要するに浅野が作りたくて作ったわけではない。
>>515
当時の大名も「切らずに突けばいいものを。武辺のない男だ」と日記で馬鹿にしてたな。
書いてたのが誰だったか今思い出せない。
ガキの頃読んだ『赤穂義士』っていう子供向けの本だと
柳沢吉保と側近の会話で
「吉良の奴が生きているのは都合が悪い。浅野が短刀の使い方を知らないものだから・・・」
「浅野はあわてていたので切らずに突くべきだというのを忘れてしまっていたようです」
というのが有った
浅野内匠守が暗君だったという・・・
歌舞伎ってのができたの江戸時代だもんな
ちょっと知的障害とかだったのかな?
脚気とストレスで
パニック障害的なアレだったと聞いた
男の子いなかったんだっけ?
大石内蔵助も最初は弟を当主としてお家再興を目標にしてたのは有名な話で
時代は下るけど、浅野内匠頭なんかは座敷牢に押し込められなかったのが不思議なくらいなんだけどな
吉良に切りかかった後の尋問で「遺恨はあるが言えない」なんて言ってるくらいだし
他の大名からもヤバい奴と思われていたらしいし
慎重で処世術に長けた範頼でさえも粛清されたのだから
義経が危険視されるのも無理はない
源氏が三代で滅びたのは実朝が子に恵まれなくて
暗殺されたから
ほんまやな
いったい何人殺したんだよって話だわ
更に、討ち入りに行かなかった連中にも世間の目は厳しかったわけだし
アイツ一人だけ悲劇のヒーロー気取ってるけど いい加減にしてほしいって言ってたわ
アイツ一人ってのは浅野?それとも大石内蔵助?
そもそも鎌倉幕府に源氏要らなかったのでは?
サムライは領地争いの公正な調停役が欲しかっただけで、
それが北条でも一向に構わないと。
源氏自身(頼朝)としては滅びたくないだろ
応仁の乱の元凶。そのくせに何の対処もせず。
が
>>546
の息子だってのにが驚き
今の今まで知らなかった。ぐぐってみたら本当なんだな!
室町幕府の将軍は調べると面白い話が色々出てくるな
なんて言うか 足利ファミリーはニュータイプだらけやな
嬉しかったのかな?
恐らく捏造の部分も多いと思われるが、一般的イメージは最悪
信長の引き立て役のイメージしかない
「悪の実力者」タイプはアンチだけじゃなくファンもいることが多いからな
無能のイメージしかない
エピソードも飯にかける汁の量が分からず氏康を嘆かせたとか、
稲刈りをしているのを見て「あれで握り飯をすぐ作ってまいれ」と命じて無知ぶりを信玄に笑われたとか
そんなのばかり伝わって無能のイメージに拍車をかけてる
無能、ホモの受け、いい歳になってから女狂い、辻斬り
いいとこなし
為政者としては 段違いだからな
本当 暴君名君の違いって紙一重
暴君というより暗君
ダメな三代目って 意見はあるな
同じ世襲でも
専門家には評価する人もいるが、一般的には生類憐みの令の横暴な将軍
足利義晴から偏諱を受けた人物って、ことごとく不幸になってるような
瀕死の病人を最後まで看病しろとか、捨て子がいたら町で責任持って育てろとか
動物愛護という方面で語られることが多いけど、公衆衛生にも目が向けられていた
そういう観点からすれば、生類憐みの令は一概に悪法とは決めつけられないんだよね
他に誰がいる?
綱吉はネロと結構かぶる。
エピソード先行でわがままな暴君のようにレッテル貼られているところとか
母親に頭が上がらなかったところとか。
今川義元とか尼子晴久とか長尾晴景とか細川晴元とか
義観とか言う坊主
他の将棋隊士見殺しにして 自分だけ逃亡
生類憐みの令はコンセプトはいいのだけど、運用がなw
綱吉が気まぐれで言ったことを吟味せずにそのまま法令化して
トンデモになった感がある。
官僚が悪質だったか、独裁的な綱吉にびびって何もしなかったか。
長尾晴景は幸せな生涯送ったといえるのでは?
トップとして責任重大で大変なポジションにいるより、
隠居して酒と女に溺れる生活してれば大満足な人でしょ
家臣に自分の儒学の講義を聴講させたりな。
ネロも自分の歌を聞かせるのがすきだった。
ただしネロの歌唱ショーはリアルジャイアンリサイタルw
強制的に召集されて聴かされ、つい途中で居眠りした家臣が左遷されたなんて逸話もある
それは綱吉の儒学講義でも同じなんじゃないの?
ヴェスパシアヌスみないな居眠りするマヌケがたまたまいなかっただけの話でw
悪くいくと切腹だから緊張感が違うかと。
ネロの歌や詩はヘタクソで退屈だったというがw
会社の飲み会は強制じゃないけどいかないとヤバイみたいな。
まあ、大方ためにならんだろ。
聴きたいなら本物の儒学者がそこらにいるだろうし。
もっとも「今後の改易の方針について」講義しだしたら聴いておかなきゃヤバイがw
そこまで将軍が公に話したのなら、なんて心の広い公明正大なお方と思うだろうなw
奇しくも綱吉もネロもその政権の第5代目(将軍と皇帝の違いはあるが)
時の権力者が権力を失ったときクソミソになるんだが、
大和郡山は国替えも減封もされずに中規模の譜代大名として生き残った。
割と柳沢吉保の息子は綱吉の胤というのは信じられてたのかも。
策士にしては欲がありすぎたのがそもそもの失敗の原因だけど
今の小沢某もそんなタイプ
父親の本多正信は名うての策士だったのにな
狸オヤジの懐刀で自分も狸のイメージ
まぁ、小説とかならあえて悪名を被ったみたいな感じで書かれるけどね
正純、お前は別だ
乃木さんがどうしてイメージ悪いんだ
その殉死に感銘を受けて漱石も鴎外も小説書いたんだぞ
徳川の本多親子とかはモテそうに無いんだ
旅順のくだりで無能というイメージついちゃったじゃん?
本当に無能かは別にして
判官贔屓、若死に
しかし大野って当時はリアルでモテてたけど、今じゃ別にモテてもないのでは?
三成も最近でこそイメージ良くなってるけど、以前は勘違い文弱の徒で奸臣扱いだった。
大野治長は男傾城とか表現されてるね。
つまり自分の魅力で淀殿を操っているという
一方 狸の家臣団は むさ苦しい ゴツい おっかないの3e軍団
何じゃこりゃ
狸の家臣団にも戦国武将を代表するイケメン井伊直政がいるではないか
直虎たんもいるな
むさ苦しい ゴツい おっかないの3eの加藤清正や福島正則がいたんだぞ
猿と狸ならどっちがモテる?
信長だけは今後人気が出る可能性があるが、あとの二人は絶望的と分析してる人がいたな
朝鮮出兵から帰国して 三成に茶会に誘われて 全力で怒ってたな
何か 嫌な思い出でもあったんだろうなWW
>>622
どっちだろう まあ一般論だと都会派猿かな
田舎狸より
そりゃ三成の讒言で秀吉に牢獄に入れられたからでしょ。
地震で伏見城が崩壊した時
秀吉の身を案じて真っ先に駆けつけ
秀吉に「愛いやつ」と言われて放免になったけど。
そうか…てっきり
合コンで 三成ばかりモテてたのにキレてたとばかり思ったが 災難だったね
877 :人間七七四年:2014/09/20(土) 04:45:04.52 ID:2RpaxlOS
政宗みたく発掘調査して遺骨から、顔を複製してほしいわ
西洋人が描いた支倉常長みたいのでもいい
878 :人間七七四年:2014/09/20(土) 13:42:05.21 ID:eFnY3rjW
>>877
なんで政宗にだけそれをやったのかね?
885 :人間七七四年:2014/09/21(日) 19:20:27.84 ID:2BIiSV3r
>>878
石田三成も復元されているよ。
ゴツめの浮浪者のおっさんみたいな顔つきだったけど。
886 :人間七七四年:2014/09/21(日) 20:31:35.65 ID:ccniDfrB
>>885
なんかイメージと全然違うな。
青白いインテリで顔のつくりは結構イケメンってのが一般的なイメージだろうに。
何があった
清正の敵役だから熊本県人は嫌いかもしれないが。
牢獄じゃなくて自宅謹慎
牢獄だったら地震のとき駆けつけれないべw
>>628
小西と加藤清正は領地が隣でどちらも肥後だから境界争いで余計仲が悪い。
なに考えてこういう配置にしたんだろう?
もっとも清正の隣ならだれでもトラブったかもしれんが。
こいつほど 後生でも畏怖られた人物も珍しい
無論、良くも悪くも
いわば信長の先駆者なのに人気は正反対だな
今まで 崇徳院とか 後醍醐とか 没後に 魔王呼ばわりされた為政者は数あれど
生前に六天魔王と
怖がられたのって
こいつが最初だったりするし
多分信長とかと違って
英雄ではなく 怪獣か何かの扱い何だろう
信長は自ら六天魔王と名乗ったと思っていたが
第一史料にはそれを証明するものはないみたいね
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1346132558
全ては時代劇のせいだが
北条政子が結構いいイメージなのに、なんで富子は・・・
まあ自分の子の祝を勝ってにしたとか言う理由で閉門だが
「越後屋、そちも悪よのう」の越後屋ってそいつじゃねえだろw
日本史上の有名人で数少ないわが子を殺そうとした女性
賄賂政治のイメージ強すぎ
田沼の泥沼今は恋しき
逆だったらどうだったろう
そら田沼でしょ。
定信がやったのは幕府財政の健全化で、財政出動を抑える型だから、
そんなの喜ぶ奴はいない。
江戸市民は将軍や大名の落とす金で食ってるようなものだったからね。
風俗・出版の取り締まり、つまり艶本とか春画とかを規制してしまったんだから
それは松平定信もやってる。
密偵まで使って批判者を粛清してる。
なんか江戸時代の三大改革って緊縮的というか、
縮小して当座しのごう的な感じだから
暗いんだよね。
むしろ幕末のペリー来航以降の幕府主導の西洋化の方が発展的改革だと思う。
まあ池波さんの私見かもだが
たいよう共済みたいな利権でも有ったの?
鬼平以外になり手が無いから
利権どころか 改め方や寄せ場の予算を
実費で賄うため
インサイダー取引に手を染める羽目に
定信だけじゃなくて、他の要人にも好かれてなかったようだが。
長谷川平蔵が町奉行候補に何度もあがりつつ、
結局火盗改め止まりだったのはその辺が影響してる。
-653
最悪だな、男性心理を分かってないな
松平定信はセックス嫌いだったのに艶本・春画といったオナニーのオカズも規制したってことは
オナニーも嫌いだったのかな
定信系とうまくいかなかった理由のひとつだな。
左遷されてもおかしくない微妙なポジションだったが、
現場指揮官としての有能さは一応認められていたから、
万年火盗改めとなった。
司馬にもっとも嫌悪された歴史上の人物って
海江田信義だと思う。無知性無能軽佻卑劣という感じ。
でも一般人がイメージできるポジションじゃないしな。
なぜ大人気にならないのだ?
織田信雄とか、信孝とかね。
まあ、どっちにしろ大した人物じゃないだろうが。
山内容堂は?
吉田東洋も
ちなみに『お~い竜馬』は武田鉄矢が原作だが、wiki情報によると
>原作者の武田は、2006年放送の大河ドラマ『功名が辻』に山内家の家臣五藤吉兵衛役で出演したが、
>オファーが来た際は山内容堂に対する悪感情から複雑な気分になったという。
「酔って候」ではそんなに悪く書いてないと思うが。
しばらく読んでないからよく覚えてないのだけどね。
朝敵として
評価も人気も全くない
2ちゃんの一部を除いてw
あながち間違いではないのは 二人とも 室町幕府から独立
「どこもそうだが」 したのに対し
信長は室町幕府の一員として振る舞ったからな~
表向きは
山岡史観だと朝廷が絶対善でそれにはむかうものは悪。
だから室町幕府は悪(朝廷から実権を奪っているから)で
それを倒した信長は善。
蜂須賀小六ら野武士は室町幕府の統治に嫌気がさして地下に潜ってる連中。
信長はまだしも 家康に勤皇精神があったようには見えないな
なんで戦前に足利尊氏が極悪人で楠木正成が善人扱いだったのかね
逆でしかるべきじゃないの?
その辺は昭和天皇も疑問に思ってたみたいね。
なんじゃその話
興味あるな
家康にしたら 豊臣家が関白しとるから
必然的に 自分たちは征夷大将軍になるわけだが、そうなると 徳川以前に征夷大将軍として、日本統一した足利将軍家は
かなり目障り
だから 足利より 古い新田姓名乗って源氏長者になったり
足利や足利が擁立した 今の皇統に対抗して 光圀や天海に命じて大楠公や将門信仰広めた
そしたら 数百年後に国学に被れた若い志士たちに徳川が倒されたという皮肉
面白い話ではあるが、そこまでいくとファラオの呪い並みのこじつけじゃないかな。
幕府が倒された数ある原因のうちの一因ではあるかもしれないけど
確かに 例えると エジプトでイスラム過激派が政権取れないのは、ファラオのピラミッドがあるお陰みたいな話で証明は難しいわなぁ~
ただ 家康が源氏になろうとしたさい
清和源氏しか無かったのは確からしい
あの・・・ファラオの呪いの意味を取り違えていません?
「血縁的なつながりは必ずしも”正統な天皇”を保証するものではない。
現在は血縁的には北朝の子孫だけど、
南北朝時代に正統だったのは神器を持っていた南朝。
南北朝合一以降正統なのは現在に連なる北朝の子孫。」
という理屈だと思われる
ピラミッド採掘中の事故や病気=全て
ファラオの呪い
イスラム革命が起きない=ピラミッド等への信仰と権威に惹かれて過激派に支持が集まらない
室町幕府のシステムを踏襲した徳川幕府 =権威や功績を独占するための印象操作が更なる倒幕運動を生む
本当、権威って呪いだね
それは万世一系の法則に反するんだけどね。
まあ、万世一系なんて右翼の妄言だけど。
要するに歴史の結果なんだから今の天皇が天皇ってことでいいんだよ。
知っててわざとぼけてるだろw
今の天皇が天皇ってのは別に問題ないんだけど、
南北朝はお互いに天皇同士で争ったんだから
どっちが悪でどっちが善もないんじゃないか
すまん さっぱり分からん
そもそも歴史で善悪論を語るのもおかしいけどな。
取り敢えず↓を読め
http://www.nazotoki.com/noroi.html
ただ実際に戦前は足利尊氏は大悪人
楠木正成が模範的善人扱いされていたからなあ
尊氏
前戦前にやったという「好きな歴史上の人物」アンケートを見たことあるけど
やはり尊氏はかなり低かった(50位ぐらいだったっけな)
何せ織田信秀や松平広忠に相当するからな
室町時代の人達
幕府の開祖って聞かれたら、速攻で義満や義教を上げそう
アレはどう見ても 義満というより
孫のほうだろ
でも設定は義満でしょ?
金閣寺にいた頃はもう出家していたはずとか、突っ込みどころはたくさんあるけど
あのアニメの合間に流れてた日本船舶振興協会のCMで笹川良一のイメージはだいぶ良くなってるんだろうなwww
ちなみに江戸時代、講談で客の入りが少ないと思った時は表に「本日楠公」と看板出せば客が入ったとか何とかwww
南朝方の新田家ゆかりの人物である哲斉が一度寺を抜け出し
戻ってきてからも北朝側である将軍様とは口を聞かない演出とか
と言う点で楠木正成、真田信繁はかぶるな
そういうところは孔明とかぶるな
ホウ統が風采が上がらないため孫権への仕官を断られた話が元ネタだと思う
今川義元軍団は
超優良株だったんだな
それが大河ドラマじゃあお歯黒したお公家さんだもんなw
今川義元の肖像画も木像もあんな顔してないのに
なぜ義元というと歯黒したお公家さんのイメージで定着しちゃってるんだろう?
義元も普通にお歯黒だったんだろう
…織田の馬廻りが数人がかりで 指食いちぎられる白粉さんだが…
そこいらの雑兵よりもよっぽど歯が丈夫だったんじゃないのかなと
頼朝、家康なんかはその典型
判官びいきが強い国民性なんだろうね
勝者に学ばず敗者に共感するので大戦でも大ポカした
今川義元は敗者だろ
ならむしろ判官贔屓でよく言われてしかるべきなんだが
判官贔屓されるのは高い知力を持ちながら圧倒的な軍力を持つ天下人に
力でねじ伏せられた例に限ると思う
・源義経(←鎌倉幕府初代将軍源頼朝に滅ぼされる)
・楠木正成(←室町幕府初代将軍足利尊氏に滅ぼされる)
・真田幸村(←江戸幕府初代将軍徳川家康に滅ぼされる)
今川義元は圧倒的に兵力が劣る相手に油断してて討たれただけ
みっともない部類
長い間良く言われてきたね。
近年は悪く言われるようになってきているけど。
「利家とまつ」…秀吉は毎回親友前田利家の功績を横取りするコスイ男
「功名が辻」…秀吉は甥で養子の秀次から政治批判されると怒り狂って殺してしまう肝の小さい男
「天地人」…秀吉は金品で人の心をつかんで自分に従わせようとする金ボケ爺。直江兼続を直臣にしようとして兼続に断られる。
「江」…秀吉は市や淀に言い寄って徹底的に嫌われまくるキモい色ボケ爺(市は秀吉の女になるのが死んでも嫌で自害した)。
江から毎度馬鹿にされている。諸大名の上にたつとは思われぬ小粒男で江が政治指南役。
戦国BASARAや戦国無双がまだましだな
今川家は桶狭間の前にも当主が奇襲で命落としてた記憶がある。
それ以来、今川軍団では奇襲対策が練られ、小豆坂では信秀時代の織田軍を撃破してる
桶狭間でも 何度か 織田軍は奇襲を試みて返り討ちにあって
一説には信長自身
降伏を装って 義元を討ったと言われる位ギリチョンだったらしい
それも 今川軍団上層部が雑兵の乱取りを懸念して 全軍を休止中で警備が手薄だったかららしいな
少なくとも酒宴ひらいてたなんてのは絶対嘘だと思う。
まだまだだな(笑)
いい加減
汚名返上名誉回復を
どれだけ人望ないんだよって。しかも自分でそれに気づいてない。
なぜ義元だけ馬鹿殿イメージなんだろう
信長とか龍造寺隆信は、まだカッコいいイメージあるのに
信長はともかく龍造寺隆信は義元以上に情けないイメージ持たれてないか?
太りすぎてまともに走れず田んぼの中を転げまわっているところを討ち取られるなんて。
どこまで本当かは詳しくないけど
華々しい軍功があるからでしょ
義元は親から受け継いだものはいいものなのに
自分で勝ち取ったものがあまりない
しかも輿で移動するとか(貴人はそれが当たり前なんだけどね)
武士という感じがしない
今川義元に詳しくないが
花倉の乱に勝利して三河併合を成し遂げ 尾張侵攻に着手
仮名目録追加による 統治体制確率など
義元は当時の信長を凌駕する権力者に見える
信長ですら尾張統一にエラいてこずったし
負けた相手の知名度の差も大きい
花倉の乱は今川家内のお家騒動で領土拡大にかかわるものではない
三河併合は織田に付くか今川に付くか迷った松平が
今川を頼ったというもので特に戦で切り取ったわけではない
義元は三国軍事同盟など平和的に領国を守ろうとした形跡は見られるが
武人ではない
そもそも、義元は国主で 武人ではないしな
武田信玄も三方原では前線で指揮をとらず 専ら勝頼に任してたしな
武人から国主に成り上がった信長とは
立場が違うし
また「戦国の世なにの公家化してしまったために武人の信長に討ち取られた」という
引き立て役が再燃するぞ
逆に大軍擁して奇襲で負けるのはマヌケ。
ミッドウェイなんかが黒歴史だがな。
どこを山場にするんだよ
家督相続争いのところとか?
奇襲勝利が無いのも家康が人気低い理由の一つか
長篠合戦でろくに
指揮とってないしな
主に家康が指揮ってたらしい
家康がやると、巧妙な作戦でなく卑怯極まりないになってしまうんだよなあ
そもそも三段構えの鉄砲隊が捏造といわれてるし
花倉の乱でも良いし河東の乱でも桶狭間でも
作り方しだいでは盛り上がれるよ。
ただそれを書ける力量ある脚本家が居ないけど
確かに手段としてはそういう形をとろうとしたし、それは褒められたもんじゃないけど
東北の窮状を救いたくてって動機は同情されてもいいと思うんだがな。
あのクーデター成功すれば東北の窮状救えたのか?
そうは思えないけど。
武田軍に突破されとるしな
実は信長の勝率って 元祖天魔王に比べると(一度も前線に出てない)かなり低い
いやそうだけどさ、そういう背景は語られずに
まるで拡張主義を目指したような語られ方をするのは違うと思うんだよ。
長篠は本来徳川と武田の戦で信長は巻き込まれる形での参陣
その参陣だって家康が武田に降りるよ?いいの?と脅しかよwな
感じでやっと重い腰上げたんだから指揮しないのもある意味当然
戦国武将でこいつが一番嫌い
好き嫌いは個人の勝手だけど、今川義元は一般的に思われているような公家化した柔弱武将ではないぞ
版図と言い 政策と言い 勝率と言い
間違いなく駿河公方の器だわな
討ち取られるときも必死で抵抗して
相手の指を食いちぎったりしてるしな
平宗盛みたいなのとは違う
韓国ではそうだろうね
「平家にあらずんば人にあらず」
松永久秀の場合
ファンは多いけど
ぶっちゃけ失敗例だからな
ぶっちゃけ三好政権の幹部だから 足利義輝の方が 謀反になるんだが、次の将軍の擁立に失敗して
謀反の失敗例にされちまった
信長に対しても何度も謀反起こしたしな
まあ、それでも城を捨てて逃げた
荒木道糞よりは
まだ評価高いけど
あいつに関しては好きなやつ皆無だろうな
いい逸話なにも残ってないし
可哀想と思う人はいても
好きな人はいないだろうな
大坂城の堀は和議の約定で埋めただけだし、卑怯でも何でもないんだがな。
元々外堀も内堀も埋めるのが条件だったし。
>>772
近江八幡では善政敷いてたし(今でも地元では名君扱い)、四国征伐でも功上げてる。
小田原の役や奥州出兵でも功上げてる。
大きな失態は10代の時の小牧長久手だけだし、全くの無能だったら秀吉が後継者にするわけない。
彼を粛清したおかげで自身の勢力を自ら削ってしまった豊臣家は、家康ら大身外様を政権中枢に引き込むしか政権運営できなくなり、
後の豊臣政権崩壊の序曲がはじまったともいえる。
条件は埋めるのは外堀だけだろ
それはドラマや小説の読みすぎだろ。内堀埋める事は和議の条件に元々入ってる。
堀は二の丸は豊臣家、三の丸の外堀は徳川家が埋めるはずだったが、徳川が豊臣の持ち分も強引に手伝ってやっただけ。
>>776
難癖っていうか家康の諱割った豊臣家が軽率すぎるだけ。
結局
全部堀埋めとるやん
そもそも、物理的に 敵対行為どころか 諱割っただけで攻撃できるなら 幕末の徳川は攻められても 文句いえんぞ
淀は運命に翻弄されてかわいそうと思う人はいるかもしれんが、
大野治長は石田三成みたいにファンが付くわけでもなく、豊臣家潰した暗愚な将のイメージのまま。
彼は彼なりに豊臣家の事考えてたと思うが・・・。
江戸城が包囲されてたら
間部詮房や柳沢義保も似たようなイメージもたれたろうな
石田三成は戦争は上手くないがそれ以外の実務面で有能とか、
あと死ぬ間際のエピソード(柿のやつ)とかカッコ良い面もあるからな。
大野はいいところが全く無い。
大野は乳母子として淀殿と秀頼忠義一筋だったならばともかく
関ヶ原では家康につき、家康の使者として大坂城に入るなど
どっちつかずでいい加減
むろん、ゴシップの粋は出ないが 少なくともそんな噂がでるくらい 淀×大野だったんだろうな
秀次は田中吉政以下、内政のベテランがついていたので
「よきに計らえ」と言っておけば完璧にやってくれた。
といっても自分も好きではないが
松永は他家追われた武将や没落大名の子孫に扶持与えてたりするから
思われてる程悪い奴じゃないと思うのだが。
山岡は広く読まれている割に人物のイメージにあまり影響与えてないんだな
家康大善人ともなってないしw
司馬は松永を貶めてるどころか、器量に関しては褒めちぎりに近いよw
国盗り物語の義輝殺害のくだりで松永久秀の紹介をしているけど、そこでは道三と並ぶ悪人としながらも、
「強大な軍隊を持ち、智謀すぐれ、海千山千の外交能力があって、畿内のどの大小名よりいくさがうまい
」とし、
「三好家の吏僚上がりなので文書もあかるく、風雅の道も心得ており、当代有数の風流人」といい事ばっかり書いてる。
あと、美男であるとも。
松永はダントツに知名度が低いな
戦国BASARAでチョット有名になってきてるw
知名度が低すぎるからかな
なぜか善人のようなイメージが定着している
三凡の矢の逸話とか愛妻家だったという話からだろうか
三凡→三本
海音寺によると宇喜多直家は小悪党だそうだ。
松永や道三とはレベルが違うらしい。
毛利家のかませ犬扱いだし
毛利に比べれば小物だろうが。
まあ美人は正義だけど
何言ってる、秀吉の子を産み実子の後継者を秀吉に作ってあげたじゃないか
淀が子を産まなければ後継者秀次でそのまま豊臣政権が続いていたかもしれないのに
嫌 寧ろ 秀頼が関白 秀次が摂政でないと纏まらないだろ
意味不明
摂政と関白の同時任官はないだろ
秀吉は当初秀頼と秀次の娘を婚約させ
秀次から娘婿の秀頼への政権譲渡を企画したが
結局豊臣権力を二分すると思っての秀次一家根絶やしなんだから
応仁の乱の経緯をみると、秀次切腹は妥当な結果じゃん
織田家の血筋と秀次では やっぱり秀頼が選ばれたろう
-812
秀頼が産まれなければだぞ
まあ、秀次が生きてたら普通に秀頼派対秀次の争乱が起きただろうな。
で、徳川家康がついた方が勝つ。徳川家康は多分秀次につくだろう。
その後は「恩賞」と称して豊臣家の領地が秀次に味方して戦った武将に与えられて70万石にまで減り、
力が弱まったところで滅ぼされるだろうな。
だから秀次殺しても殺さなくても結果は同じだと思う。
まあ、秀次が生きてたら普通に秀頼派対秀次の争乱が起きただろうな。
で、徳川家康がついた方が勝つ。徳川家康は多分秀次につくだろう。
その後は「恩賞」と称して豊臣家の領地が秀次に味方して戦った武将に与えられて70万石にまで減り、
力が弱まったところで家康に滅ぼされるだろう。
だから秀次殺しても殺さなくても結果は同じだったと思う。
秀吉の血筋は途絶えるけど
秀次は秀次で人心得てたわけじゃないから
秀吉の死後、元秀吉側近と秀次側近が対立して
そこに家康が出てきてだな、、
要するにそこに家康がいるのが悪い。
徳川政権で家康ー秀忠の権力継承がうまくいったのは、
外様を政権から排除したのと、派閥を作って争乱を起こしそうな家臣、
この場合大久保忠隣だが、そういうのを予め
排除しておいたことにあると思う。
豊臣政権でもはじめは一応外様は政権から遠ざけてただろ。
秀次事件が起きる前までの家康は官位だけは秀次に次ぐ高位だったが、江戸期の前田家みたいな存在だったしさ。
秀次とその官僚団が消え去ってから家康が政権中枢に入りこめた。
だから、争乱の種を摘み取る意味では秀次排除は最善策ではあったわけだ。
結果的には無駄だったけどな。
自分的には土岐頼芸がイメージ悪い
道三という稀有な天才を大名にしたのは評価するが、
あほ過ぎてあきれるわ
させたいなら石田とか長束とか増田とか、
秀吉死後対立軸になりそうな近江派官僚を予め粛清しとかないと。
でなかったら、福島、加藤、黒田、細川あたりの武断派を切る。
誰が後継者でも文官と武官が権力闘争始めて外様を巻き込んで
戦乱が起きる構造になってた。
でも、朝鮮で戦争中だったからどっちも無理だったね。
徳川家も武断派と文治派の対立があって、
武断派の大久保忠隣とその徒党が改易されたけど
安定継承の為には苦しい選択だったかと。
淀が秀頼産まなければ秀次対秀頼側近の対立も生じようがない
>自分的には土岐頼芸がイメージ悪い
>道三という稀有な天才を大名にしたのは評価するが、
>あほ過ぎてあきれるわ
海音寺潮五郎もボロっかすに貶してたな
時代の趨勢にさからって平城から山城に移ったこととか
室町と言う名前がマイナーすぎて京都人以外にはイメージできないからだと思う
いや生じるよ。秀頼なんて神輿に過ぎない。
結局、近江系と尾張系の権力闘争なんだから、秀頼がいなければ別なのを神輿にするだけ。
「秀吉公亡き後、三法師君の織田秀信に天下をお戻しする」だって構わんわけで。
淀殿の方がイメージ悪いだろうが、悪人は日野富子。
淀殿が悪人なら徳川なんかに天下は奪われない。
半将軍細川政元の時代でも、バリバリ現役だしね
淀や北条政子と比べても
これをイメージ良く描こうとするバカは
必ず失敗する
山岡宗八とか滝田栄が主演の大河はヒットしたんじゃないの?
能や日本庭園や 菅原道真や平清盛も出来なかった貨幣金融の普及は紛れもなく
足利義満や義教の功績だよな
>>836
萬屋錦之介や司馬遼太郎の例を考えると 間違いなく 家康のイメージが変わってなきゃ行かんのだが
結局、狸おやじに逆戻り
藤原の郷で平安ー鎌倉時代の家屋見たけど、神社みたいで凄い住みにくそう。
未だに狸オヤジなんだから家康のイメージはどうしようもないよ。
マジでもう一度徳川政権が成立するぐらいでないと
将棋で何手も先読んでる棋士のように、ものが見えてる。
自分の死後になにが起こるかまで見えてて対策してるし。
①小早川秀秋公
・朝鮮征伐で初陣を飾り、自ら突撃して明・李朝軍将兵を多数討ち取る勇猛果敢な武将
・結果として関ヶ原の勝敗の行方を決定させた
・卑怯、裏切者と言われているが、実際に関ヶ原で日和見に終止した西軍武将は大多数
②明智光秀
・武略知略共に長けており優秀だった
・統治地区で善政を敷いた
・朝廷を守ろうとしていた
戦国時代の慣習を知らなすぎ
しかし小早川秀秋は関ヶ原の戦いの後、わずか2年で20歳にして死去。
「日本一の裏切り者」という周囲の蔑視や罪悪感から酒浸りになり
無益な殺生もしたりして人間としておかしくなり、最後は狂い死にとも言われている。
恐らく今でいう鬱病にかかったのだろう。
明智光秀はイメージ悪いけど稀にみる逸材だったのは確か。
だからこそ本能寺の変にいたった軽率さが惜しい
そして稀代の美人ガラシャたその父といういい仕事してる
だからこそ共謀だったけど光秀が一方的に見捨てられた説が根強いんだよな
共謀の相手は秀吉、家康、朝廷と色々言われてるけど
>稀代の美人ガラシャ
ガラシャが稀代の美人扱いになったのは明治時代みたいだけどな
宣教師が布教活動のために殉教した絶世の美女細川ガラシャを作り上げた
だいたい夫婦同姓になったのが明治時代なので本名は明智玉だし
らしいね、明治に入ってからキリスト教によって明智玉から絶世の美女細川ガラシャに“昇格”した
確かに日本の昔の女性の名前はそれだw
貴族クラスはどうか知らないが郎党以下、または庶民までそんなもん
戦国時代は成り上がりの時代だからそう
いう名前の女性が増えてきたのかな
そんな中、北条政子とか日野富子は今でも普通に見られる名前だな
なぜなんだろう
昔はそういう名前珍しかったはずでしょ?
利益になれば、キリスト教でも日蓮宗でもお構いなく手を組み入信
不利益ならば、比叡山だろうが本願寺だろうが 容赦なく攻撃
信長より過激
現代社会で当たり前に子が付くのは大正、昭和、どっちにしろこの百年以内の話な
中の例外
系図なんかでも”女”だけだぞ
公家なんかだって昔は○○○○(父親の名前)女(むすめ)って表記だぞ
表記で実名は不明
北条政子あたりから皇族あたりじゃなくても女性の名前がでてくるようになったのかな?
女性に「玉」なんて名前付けることに抵抗は無かったのだろうか?
築山殿に折檻された(たぶん創作)家康の妾にもいたし
結城秀康の母親な
多分家康の行為を正当化するための捏造が多い
お万折檻は間違いなく捏造
玉(珠)って名前は戦国や江戸時代の人物だと時々見かける気がする
当時としては普通の名前だったのでは
つうか、キンタマって江戸時代にできた言葉だと思うが。
朝鮮語だと金玉も意味が違うんだろw
江戸より前は「ふぐり」とでも呼んでいたのか?
おもに赤ん坊に対してだが
彼のせいで玉はキリスト教に走り、自害も出来なくなった
また玉の姿を覗き見たというだけの理由で大工を殺したりした(別に風呂場とかじゃないぞ)
それだけではない
細川忠興のそういう嫉妬深さのため東軍の大名の妻子を人質に取りに来る三成たちに
家来達が上手く対処することができず
細川ガラシャは逃げられず死を選ばざるをえなかった
玉は磨けば光るってところからな
江戸時代の遊郭を仕切ったのは女主人というのご存知で?
男性では遊郭を仕切るのは無理だからな
現大河でも黒田も利休も苦境に追い込んでるしな。
実際はどうか知らないけど。
秀吉の側近なら暴走を止めろよって感じだわ。
千利休は商売気有りすぎ
「秀頼を頼む」と言って死んだということは、
もう将来の秀頼政権は諦めてて、命だけは情けで
助けてやってくれということだったと思うが
そこに波風立てて騒いだ三成は結構罪重いと思うがな。
ぶっちゃけ秀吉シンパだが、豊臣家自体にそこまで忠誠心があったようには
無論、家康にも言えるがね
要するに石田三成がポスト秀吉の豊臣政権で主導権を握ろうとしてただけなんだろうね。
正義だの忠義だの後世の人間が後世の道徳持ち出して後付けしてるけどさ。
むしろ一国の奉行が 国や政権の未来や主導権より正義忠義を優先したら それこそ無責任だわな
ふぐりというとクロカンに「ふぐりぶら下げた男のやることか!」と一喝された山名豊国
この人って今年の大河出てないよね?
ってか、鳥取の餓え殺し自体スルーだったような
前田利常なんてどうするんだよ、ふぐりもチンチンもぶーらぶらさせてた殿だぞwww
長い間奸臣・ただの負け犬扱いでイメージ悪かった
>つうか、晩年の秀吉は外様大名からなる大老合議制にして、
>「秀頼を頼む」と言って死んだということは、
>もう将来の秀頼政権は諦めてて、命だけは情けで
>助けてやってくれということだったと思うが
それならそうと、はっきりさせないで死んでしまった秀吉の落ち度だな
やることなすこと裏目に出て大日本帝国を破滅に追い込む
戦後A級戦犯になりながら病院のベットの上で死亡
戦死も刑死もしていないのに靖国神社に祀られる
病死は本人の意思と関係ないじゃん
東条のことか~
いや、はっきりしてるでしょ。
外様を政権に入れるというのはそういうこと。
いまでも取引銀行の人間を役員に迎えるようなことになったらその企業の状態は芳しくないよね。
どうせーちゅうねん
文書でもそれを残せば良かったんだよ。
秀頼の処遇(何万石ぐらいの大名として残してやってくれとか)も含めて。
260年後それは実現した
正直 黒船さえ来なかったら、これでも
良かったんだろうな
鎖国は家康の意思じゃないでしょ
三浦按針重用したり、海外に関心持っていた
まあそうなんだが
弟との抗争に手間取ったり、在任中に
島原の乱や由比正雪の乱があったり
同じ三代でも源実朝みたいな悲劇的なドラマ性や足利義満みたいな剛腕がちょっと足りない
どうしたらもなにも、あれでよかったんだろ?
完璧すぎて江戸時代通して変化を望まない社会になった弊害があったけど、
それは後継者がボンクラだったからで
家康にはどうしようもない。
自分は鎖国しなくてもあまり影響はないと思うがな。
その頃にまともな外洋船があれば、ヨーロッパ諸国を東南アジアから一掃できるだろうな。
向こうは、情報が本国に届くのに1年とか掛かるレベル。
でも、反対勢力一掃後と外国干渉が無かったから 家康は容易に天下取れたわけで そう言う意味では、鎖国と幕府は切手も切れない
日本のためには良かったかと言われると疑問>鎖国
当時の外国勢力って怖れるほどのものか?
日本にはアステカ帝国と違って馬も鉄器(しかも西洋刀より切れるやつな)もあったし、
世界標準レベルの鉄砲もあったしで、
一万キロ以上遠くから派兵してくる連中に負けるとは思えん。
陸戦しないと占領できないが、陸戦は結局数がものいうのだから。
むしろ鎖国しなかった方が西洋の技術力とペース合わせられてよかったと思うが。
おかげで密貿易をしていた薩摩や長州が栄えた
薩摩は有名(琉球経由で)だが、長州も密貿易していたのか?
幕府がそのポジションを有効活用したようには見えないがな。
オランダとの交易も限定的だったし。
少なくとも徳川はそうは思わなかったんだろうな
しかも>>914
な結果に
二百年の泰平をもたらした
…ハズが黒船で全ておじゃんに…
しかも開国しようとしたら、尊皇攘夷の輩が
「畏れ多くも帝のまします神州に夷人の穢れた足を踏入れることなど
もっての他」とか言い出して、
実はそいつらは鎖国始めたのが徳川だったことも知らなかったという。。
仕方ないよ
彼らは、そもそも尊皇攘夷派や水戸学の基礎となった南朝信仰自体 徳川が吹聴した代物も知らなかったし
しかも鎖国しといて開国はねーだろ何て言われたら 幕府としてはグーのねも無いし
>実はそいつらは鎖国始めたのが徳川だったことも知らなかったという
マジかよwww
鳥羽伏見で裏切って味方を攻撃した藤堂は悪く無いの?
関ヶ原の東軍も西軍も歴とした豊臣正規軍だが、鳥羽伏見の東軍はぶっちゃけ幕府軍とも徳川軍とも認められない
「大政奉還後で幕府軍ではないし、徳川の重鎮が少なくとも慶喜、慶勝、春嶽と3人も新政府を支持参加してる」
だから藤堂の行為はいわばテロリスト掃討として認められるが、小早川のは豊臣家が有った頃だと
友軍攻撃になるんかな
無論、三成の死と豊臣家滅亡でチャラだが
小早川自身そのことを気に病んだのか
大大名にはなったものの(恐らく)鬱病になり
朝から酒浸り、無益な殺生を繰り返し
わずか2年後に20歳で死んだ
そういうのも悪評の原因じゃないかな
逆に関ヶ原の戦場で戦わずに静観し、友軍の奮闘も見捨てたのは裏切り者に成らないのかな?
豊臣政権内石田派VS徳川派の戦いとは言え、小早川ばかりが悪く言われるのは如何なものかと
まあそうなんだが、金吾の場合 松尾山で家康三成のどっちつくか迷ってる行為が
逆に
戦わずに静観し、友軍の奮闘も見捨てたのは裏切り者
に該当してまう所だったし
まあ西軍敗因の直接の原因の切っ掛けであるから仕方のない面はある
乳母コン、ホモ、歳とったら女狂い、辻斬り・・・
実際はともかく一般的なイメージはとにかく悪い
先祖の山名宗全さんは あの足利義教からも寵愛されるほどの 名将なのに
日野富子から思いを寄せられてたよな>山名宗全
まあ、あの状況なら逃げるしかないけど。
逆に赤松満佑は邸内にいた有力大名討ち取っておけばもう少し時間稼げたのに。
「将軍の許しもなく将軍を助けようとした」とか言ってその場で手打ちにしそうで怖い
赤松もどさくさに紛れて生き残れたかも。
細川勝元の胤から
足利義政や細川政元 が生まれるのやら
細川政元はいいだろ。有能だし。
超変人だけどその点では上杉謙信みたいな後輩もいるしw
むしろ父親を反面教師にしたからああなったのでは?
鷹が鳶を生んだのか
むしろメディアの影響の方が大きいと思うけどな
それで刷り込みをやったらどうなる?
現実と非現実の境界ってのでテーマにして論議するのも面白そうだがな
長年の謎だったが… みんな親父の義教みたいに魔王覚醒してほしくなったのか
なんか普段は気弱なオタク・ヒッキーが
追いつめられると突然キレてとんでもないことをしでかすみたいだなw
頭は悪そうだけどポーズとか決めるのが好きか?
ダメな奴ってのは実害がないから逆らうまでもないのだよ。
日本は特にそうだっていうね
トップはお飾りで無能なほうがいい
逆に中国は暗君は謀反起こされたりする
ただし政治・軍事に口を出さないことが条件
パーのくせにやる気だけはあるのが一番始末に悪い
後醍醐天皇の事か~
補佐役の新井白石が優秀だったためかえって良かった
家来が実際は政務を行っていた
家宣はパーってわけでもないだろ
むしろ「名君になりそうだったのに就任してすぐに死んじゃって…」みたいな扱いじゃね?
暗君ではなく暴君だったわけね
最近石田三成のイメージが上がってる中、珍しいね
家斉とは生理的に相容れないだろう
家斉は女の数以外は割とまとも。
家斉が舟で川遊びに出たときなぜかドザエモンが浮いてたんだわ。
側近は失態に真っ青になったんだが、家斉が全く表情変えないので、
気づかなかったのだと胸を撫で下ろしていたら、
かなり時間がたってから家斉が
「そういえば、さっき死体が浮いてたね。
自分がアレコレ言うと誰かが処分されるから気づかないふりしてたよ」だと。
家斉にはこの手の他人を思いやる話が結構ある。
政策の失敗を言い立てて失脚させるのは忍びないと思っていたところ、
尊号事件などという割とどうでもいい件で朝廷とトラブってくれたので
これを口実にして辞めさせた、という話もある。
つまり、家斉はまんざら馬鹿ではなくて、見るべきとこは見えてたらしい。
義教の場合、能力や精神なら名君なのにむしろ暴君の方が
褒め言葉に見える
信長と同じだな
曹操の「乱世の奸雄、それも結構だ」を思わせる
まあ彼らの先祖は義教に取り立てられた国人土豪だから
不思議ではないが
なんかそういうのも含めて室町時代ってカオスな時代だね
南北朝も応仁の乱も
じゃあその内わけでも願おうか?
変なのだったらそいつら殺しても構わないからよw
室町時代の人間をどうやって殺すんだよwww
参勤制を実施した際 参勤違反で大内氏の所領 安芸東条を国人小早川氏に永享11年7月にあたえてる
国人でない守護だと山名持豊「宗全」が家督を廃摘された兄から譲って貰った
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